大正7年の米騒動とは
1918年(大正7年)に発生した米騒動は、米の価格急騰が原因で起こった暴動事件ですが、
冷害による米不足や、水不足による米不足が原因で起った暴動ではありません。
米騒動とは、戦争特需を狙った買い占めと売り惜しみにより米が不足し、
価格が急騰、その結果起こった暴動事件のことです。
ロシア革命を契機にシベリア出兵を見込んだ米の買い占めのせいで、米の値段は約2倍に跳ね上がり、富山県で主婦が米屋を襲ったり、漁師の妻ら女性数十人が県外への持出米の船積みを拒否するなどの暴動が起きました。これら一連の米の値上がりに対して1918年(大正7年)に起こった暴動を「米騒動」と呼びます。
米騒動の時代背景
第一次世界大戦後、日本は好景気になりました。
大戦景気の影響で都市部の人口が増え、工業従事者の増加をもたらしました。
賃金が上昇し各地の農村からは人が流出、
その結果、米作農家は人手不足となり、
米の生産量は伸び悩んでいました。
また、この頃から農家の食生活も、
ヒエや麦などから米を食べるように変化し始め、
全体の米の消費量が増えていました。
このような時代背景の変化にも起因して米騒動は起こったのです。
米騒動発生までの歴史
1917年(大正6年)
3月 ロシア革命起る。
5月 米価低落が上昇に転じ、期米が高騰。大阪市場休会。
6月 米価が一石20円を越える。
東京、煮豆類が高騰。
7月 期米高騰、東京先物一石24円を突破。
警視庁が米穀商の不正枡を一斉捜査。683人を検挙、不正枡1059個を押収。
8月 米穀類を対象に暴利取締の物価調整令を公布。
9月 暴利取締法を公布
1918年(大正7年)
1月 米価暴騰のため各地の米穀取引所は立会を休止
4月 外米輸入令を公布。外国米を政府が積極的に買入れ、安価で販売。
東京市長の田尻稲太郎氏は米価暴騰対策として節米料理の豆かす飯を奨励し、
市長自ら豆かす飯を常食。
6月 米価暴騰により取引所令を改正。
7月 臨時外米管理部が朝鮮米の移入促進を発表。
米騒動始まる(7月23日)、富山県下新川郡魚津町の漁師の妻ら女性数十人が
県外への持出米の船積みを拒否して米価高騰の防止を要求。
8月 シベリア出兵宣言
富山県中新川郡西水橋街の漁師の妻ら約300人の女性たちが、
「我々は餓死するのみ」と騒ぎ出す。
米騒動の烽火は1県3府32県に波及した。
政府が米騒動に関する新聞記事差し止めを命令。
農商務省が朝鮮米を安く販売。
政府米の買占業者に警告。穀類収用令を公布施行。